かくて乙女は沼に眠りぬ

ハッピー沼底ライフ 

腹が痛い話と愚痴

 

腹が痛い。

 

昔からよく腹を壊すので、痛みの質や場所で大体どう対処すればいいのかはわかるし、どのくらいで収まるかもなんとなくわかる。

あー、このタイプは長引くな、とか。

これはトイレに行かなくてもいいやつ、とか。

言うなれば腹痛ソムリエみたいな感じだ。

 

しかしこの度、私の人生史上最強の腹痛を経験した。

 

それは昨日の昼、何の前触れもなく訪れた。

本気で死ぬかと思ったし、生まれて初めて腹痛で救急車を呼ぼうかと思った。

 

何をどうしても痛みから逃げられない。トイレに行ってもろくに出ないし、そもそも痛すぎて座っていられない。トイレ前の廊下に倒れ込み、蹲って腹を温めても、いつまで経っても激しい痛みがなくならない。

 

痛みに加えて吐き気もあるので体に力が入らない。

手足は冷え切って、冷や汗と震えが止まらず、二度吐いた。

 

とにかく体内にある異常を外に出せばある程度収まるだろうと思っていたのに、何をしても痛みがなくならない。

経験するとわかるが、何をしても痛みが変わらない腹痛というのは、とんでもない絶望だった。

 

 

途中、トイレに座っていると血の気が引くような感覚があり、意識が朦朧として「ヤバい、気絶する」と思ったので、自分の顔やら頭やらを今出せる最大の力でぶん殴ったり、廊下に転がり出て、頭を下げて頭に血を昇らせようとしたり、結果的に意味があったかはわからないがそのようにしてとにかく意識を保とうと奮闘した。

 

そして極めつけの血便。

 

約1時間に及ぶ格闘の終盤、もう少しで苦しみが終わるような気配に安堵しながらふと便器内を見ると、誰がどうみても、照明の影響を考慮しても、それはそれは鮮やかな赤色が便器に広がっていた。

 

 

 

 

結論から言うと、虚血性腸炎というものだった。

大腸に栄養や酸素を送るための血管が一時的に詰まり炎症が起こる病気らしい。

一過性のもので、そう深刻な病ではないようだ。

 

ちなみにこれを書いている今も腹が痛い。

いや、痛いというか不穏な気配が常にある感じだ。

ものを食べると腹が痛くなるので、空腹は感じているものの食べようと思えない。

トイレに行って力むとまだ血が出る。

 

 

私は今週たまたま、日・月・火と三連休なので、明日まで安静にすることができる。その間になんとか落ち着いて欲しいと思う。

 

 

 

 

 

 

余談だが、先週の月曜が誕生日だった。

職場で私を可愛がってくれている人が、ホールケーキを買ってくれると話していた。

 

私の今回の三連休は出勤日数の都合で急遽決まったもので、ケーキを買ってくれた彼女は私の休みを知らずに、私も彼女が月曜にケーキを持ってきてくれることを知らなかったため、行き違いが起きてしまった。

 

 

今日、病院から帰って、またトイレで腹痛に唸っていたとき、彼女から電話がかかってきた。

 

 

そして、めちゃくちゃ責められた。

 

「せっかく買ってきたのに」

「日曜に取りに行くって話したよね」

「どっちらけだよ」

など、本人になじっている自覚はないかもしれないが、めちゃくちゃネチネチ言われて驚いた。

 

 

彼女は人を可愛がるのが好きで、贈り物をするのも好きで、いつもおやつを買ってきてくれたりする。

お返しを受けるのは好きではないらしく、渡せば受け取ってくれるが「買ってこなくていいのよ、私が好きでやってることなんだから」と言う。

 

一見、優しく思いやりある人のように思えるが、実のところ彼女はただただ「喜ばせること」「感謝されること」が好きなのだ、と今回のことで確信した。

 

その主軸にあるのは他人の気持ちではなく、自分の快感だ。

 

 

厚意(好意)というのは、受け取る側よりも送る側の方が気持ちの良いものだ、という事実に気付いていない人は存外多い。

 

日本人特有の感覚なのかもしれないが、一方的に親切にされたり何かを貰ったりすると、私たちは「ありがたいけど申し訳ない」とか「お返ししないと」とか思ってしまう。

感謝はもちろんあるが、ちょっとした居心地の悪さも感じてしまうのだ。借りができるような感覚、と言ってもいいかもしれない。

 

だから私は、人の親切はなるべく素直に受け取るようにしているし、過剰な親切はしないように心がけている。

誰かのために何かをしようと思ったときは、相手の負荷にならないよう、「これをすることで自分にも利がある」という理由を付ける。

お返しをしたいと言われれば喜んで受け取る。

 

 

誕生日を祝うためのケーキを買ったとして、受け取れなかった相手を責めるようなことは、私ならしない。

それも意図的に受け取らなかったわけではない上に、腸炎で苦しんでいると聞いたら責めるどころか「気にしないでいいからね、お大事に」と声をかけ、早めに電話を切るだろう。

大半の人間は、私のようにするのではなかろうか。

 

 

彼女が買ってきたのは「相手を祝うためのケーキ」ではなく「喜ばせ感謝させるためのケーキ」だった。

彼女に私を祝う気持ちはなく、ただ私を喜ばせることで得られる感謝を浴びたかっただけだった。

 

 

正直、たかが職場の人間の誕生日に、ホールケーキを買ってくると言っていた時点で、いささかやり過ぎではないかと感じていた。

コンビニケーキとか、お菓子を買ってくるとか、その程度なら「ありがとう」で済むが、数千円するホールケーキを家族でも友人でもない人間相手に買うのはやや重い。

一応「さすがにやりすぎですよ」と言ったが「私が買ってあげたいのよ」と言われれば、了承するほかなかった。

そしてこの結果である。

 

 

彼女の奥底にどんな心理があろうとも、彼女が愛情深く善人であることに変わりはないと思う。

彼女は私の喜ぶ顔を想像していた。そして、手間暇と金をかけた親切を受け取ってもらえず傷ついた。

だから、傷つけた相手である私を責めた。

ひどく単純な話だ。

 

良くも悪くも素直な人だなと思う。

それゆえに、職場ではやや煙たがられている節があるが。

 

 

とにかく「ごめんなさい、お気持ちは本当に嬉しかったので、今日出勤してるみなさんで食べてください」と言って電話を切った。

 

 

 

ちなみに

 

「虚血性腸炎になったんですよ」

「なにそれ、どういう原因でなるの?」

「ストレスとか食生活の乱れとか便秘とからしいです」

 

「恥ずかしい理由ばっかりだね」

 

という会話もした。

 

繰り返し言うが彼女は素直なのだ。

良くも悪くも。