かくて乙女は沼に眠りぬ

ハッピー沼底ライフ 

読書感想文 恋愛中毒


ここ最近、なかなか本を読む時間がなかった。
いや、時間はあったけれど上手に使う気力がなかったというのが正しいかもしれない。
やりたいことはあるのに、漫然とスマホを眺めるだけの日々がずいぶん続いてしまった。

今日は久しぶりの三連休の初日で、朝の五時半から起きて部屋を片付けたり洗濯物をしたりレンジフードのカバーを変えたり、やろうと思いながら滞っていた家事を片付けた。
そして現在、まだ朝の十時だ。

時間というのは有効に使えばこんなにたくさんのことができるんだなと、当たり前のことを思った。

部屋も片付き、時間もたっぷりある。心に余裕が生まれたのか、久々に本を読もうと思い立った。
仕事の休憩時間などを利用してちまちまと読み進めていたのを、読み切ってしまいたい。
半分以上は読み進めていたので、1時間かそこらで読了した。



今回読んだのは、山本文緒の「恋愛中毒」という作品だ。
以下、裏表紙の作品紹介。


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どうか、どうか、私。
これから先の人生、他人を愛しすぎないように。他人を愛するぐらいなら、自分自身を愛するように。
水無月の堅く閉ざされた心に、強引に踏み込んできた小説家の創路。調子がよくて甘ったれ、依存たっぷりの創路を前に、水無月の内側からある感情が湧き上がってくるーー。
世界の一部にすぎないはずの恋が、私のすべてをしばりつけるのはどうして。

吉川英治文学新人賞受賞、恋愛小説の最高傑作!

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この作品紹介を読んでどう思うだろうか。

私はこれを見て、この作品を「恋愛小説だ」と思って読み始めた。過去の恋愛で傷ついた女性が、抗いようもない恋心に絡め取られていく、切なくも瑞々しい、そんな風な話なんだろうと。


実際のところ、たしかに恋愛小説だった。

あまりにも純粋で真摯な、恋という名の狂気の物語だと思う。


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この物語は、冒頭以外すべて、水無月というひとりの女性の自分語りだ。


冒頭。
とある編集プロダクションに勤める新人・井口は、元カノにしつこく付き纏われており、会社にまで押しかけられたことをきっかけに、社長と、いわゆる「事務のおばちゃん」である水無月と三人で話し合いを兼ねて飲みに行く。

社長が帰ったあと、水無月と二人になった井口は、無愛想で地味で、どこか恐ろしい雰囲気のある水無月の「結婚していたことがある」という言葉を皮切りに、彼女のかつての恋の話を聞くことになる。



ーーー



初めは、抗っても抜け出せない、恋というどうしようもない病をテーマにした物語だろうと思って読んでいた。
ダメ男につかまる女の情念と執念、とかそういったもの。

しかし、途中から違和感を抱き始めた。

読み進めるにつれて、少しずつ、水無月という女性の抱える底なし沼のような愛の狂気が滲み出てくるのだ。


ーーー


愛する人と離婚し、バイト暮らしの傍ら好きな翻訳の仕事を細々と続けて、ひとり静かに生きている32歳の女性、水無月

しかし、バイト先の弁当屋でたまたま出会ったタレントであり作家の創路に気に入られ、愛人兼秘書として彼と関わっていくことになる。

若く美しい後妻がいながら、手近な女に手を出しまくってあちこちに愛人がいる創路は、強引で傲慢で我儘で、気持ち良いくらいずけずけとモノを言う、あらゆる意味で強烈なオッサンだ。
しかし、時折スパッと核心を突くことを言ったり、沈みがちな水無月にあっけらかんと接して空気を変えてくれたりと、不思議な魅力がある。
読み進めながら、この男に惹かれてしまう女たちの気持ちが少し理解できてしまうのが少々悔しかった。


水無月は、秘書として愛人として、良いように使われている自覚を持ちながらも彼に依存していく。
他の愛人たちが奔放な創路に溺れて傷ついてしまわないよう自衛する中、水無月だけが、ドロリとした感情に徐々に飲み込まれていく。


ーーー


先述した通り、この小説は水無月の自分語りだ。

こう思った、こう感じた、だからこうした、と彼女の目線から淡々と語られる内容は、理性的で筋が通っているように感じる。
もちろん人間なので、物事の捉え方や分岐点での選択に狡さや弱さも垣間見えるが、その中で水無月はいつも、大人として、女として、冷静に穏やかにあろうとしているように見えた。

元旦那への気持ちやささやかな思い出話がことあるごとに登場するので、愛した人(未だ愛している人)との離婚という傷ついた経験が、彼女の恋愛感情にブレーキをかけているんだろうと思いながら読んでいた。
なんとも苦しい大人の恋ではないか、と。





しかし、こちらが彼女の冷静さに安心して読んでいると、彼女は時々急に、「え?」と思うような行動を取る。

挑発してきた古株の愛人に痛烈に反撃したり、不満や嫌味を露骨に行動で示したり、優しく寄り添うような発言をしながら他人を思い通りに動かしたり。

お堅いとも言えるほど真面目で穏やかな人物ではあるけれど、どこか屈折している様子が端々に見えるのだ。



私が最初に彼女の異質さを感じたのは、「元旦那に日常的に悪戯電話をかけている」ということが判明した時だ。その話は中盤以降にさらっと出てくる。
離婚してから変わっていない番号に、ワンコールだけかけて切る。犯人をわかっているであろう元旦那がかけ直してくれることを期待して。
「いつもの番号を押す」という表現があることからも、その行為がかなり頻繁であることが窺える。
いい加減にしろという罵倒でもいいから声が聞きたい、と彼女は思う。


ーーー


終盤に向かうにつれ、水無月の幼少期の話や、元旦那と結婚に至るまでの話が語られる。

そして、創路の妻との交流(この妻がまたヤバい)。先妻との間に生まれていた娘の登場。創路との関係の変化。

少しずつ、水無月は追い詰められていく。
愚かなほど純粋で、深すぎるがゆえに手に負えない執着とも呼べる愛情が、彼女の狂気の蓋を開いてしまう。


ーーー



とんでもなくシンプルな言葉になるが、この作品の著者・山本文緒は、小説を書くのが上手すぎる。人物の造形も心理描写も話の構成も、恐ろしく巧みだ。

読了後、もう二度と読みたくないほどずっしり心にのしかかるのに、散りばめられていた細かな仕掛けの在処を確認したくてもう一度読んでしまう。

山本文緒の世界に引きずり込まれる。




「群青の夜の羽毛布」の感想文でも書いたが、山本文緒の描く女性たちは皆、ドロリと澱んだものを抱えながらもどこか瑞々しく鮮烈だ。

水無月は「実は重度のストーカー」で、最終的に「実刑判決を受ける」(ネタバレ)のだが、彼女の根底にあるのは愚直なまでにまっすぐな愛情で、それは究極に透明であるとも感じられる。
ただそれは人の世においては「まっすぐすぎるという歪み」であるというのが、えもいわれぬ哀しみだ。


彼女の愛し方は恐ろしい。捨て身だからだ。
全く自衛しない体当たりの愛情は彼女も傷つけるし、受ける側も怖い。

それでも愛することをやめられない。
まさに恋愛中毒。

そしてそんな恋愛中毒者は、水無月だけではない。
創路や、他の登場人物たちもそうだ。
誰もが苦しいと叫びながら、愛することをやめられない。

 

読み進めながら、水無月の中の狂気は端々に表れるが、彼女の思考回路が飛び抜けて理解不能であった瞬間はついぞなかった。


程度に差こそあれ、人類は皆、恋愛中毒なのではないか。
私はこの作品に触れ、そんなふうに思った。













山本文緒の小説は恐ろしい。

初めはすべてが何食わぬ顔をしているのに、少しずつ不穏な空気が足元を浸し始め、「あっ」と思う頃には後に戻れない場所に連れ去られている。

胸の奥からスッと冷える感覚。
崖淵のような恐怖。水底のような息苦しさ。
読了後、気が付けば眼前に広がるその景色にゾッとする。



しかし、恐怖で握った拳の中にたったひとかけら、宝石が残っているのだ。
それは愚かで懸命な者への愛しさかもしれない。

読書感想文 群青の夜の羽毛布

 

 



この本は何ヶ月か前、次に読む本を探していたとき、タイトルに惹かれて購入した。

群青の夜の羽毛布、という語呂の良さと、静かで優しい雰囲気が気に入った。柔らかな絵柄の表紙も可愛らしい。

内容に関しては、まあ山本文緒の作品なら面白いだろうという信頼感もあって、サラッとしか確認しなかった。

 

 

 

読み終えた今、少女の手に心臓を握られているような、静かな恐怖と嫌悪感、やるせなさ、同情、ほんの少しの愛しさといった、なんともいえない複雑な気持ちに満たされている。

 

読み始める前、群青の夜に包まる羽毛布は、安心や優しさのイメージだった。

しかし今は、依存や逃避、いつまでも脱却できない幸せな過去の象徴のように思える。

悪い意味での、ライナスの毛布だ。

 

以下、裏表紙の作品紹介。

 

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24歳になっても、さとるの門限は夜10時だ。学校教師の母には逆らえない。スーパーで知り合った大学生・鉄男と付き合い始めても、さとるは母を恐れていた。屈託のない笑顔、女性に不自由したことのない鉄男は、少し神経質なさとるに夢中だった。だが、さとるは次第に追い詰められていく。家族が恋を、踏みつけるーーー。このまま一生、私はこの家で母と暮らすのだろうか。さとるの家で鉄男が見たものはーーー。

息詰まる母子関係を描く。

 

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家族というのは実に変態的な集団である、と誰かが言っていた。私はその言葉に大いに共感する。

 

愛や血の繋がりという、輪郭が不確かでありながらも絶対的な関係を持つ、閉鎖されたコミュニティ。

その中に存在する様々なルール、独特の習慣、力関係。体に染み込む「当たり前」が培われていく空間。「他所の家のこと」という壁は何より高く、他人の介入する余地はない。

 

 

この物語に登場する「毬谷一家」もまた、閉鎖された家族というコミュニティの中で、支配し、支配され、愛と憎悪を募らせながら静かに暮らしていた。

 

そこに、長女の恋人という外部の人間が介入することで、少しずつ家族の闇が暴かれていく。

 

 

***

 

 

毬谷一家の大黒柱は、教師である母親だ。

学校と塾の教師を掛け持ちしていて、毬谷家の財政を支えている。成人している娘たちに門限を設けていたり、食事中の会話を禁じていたりと躾に厳しく、冷たい威圧感のある、しかし美しい女性である。

 

そして二人の姉妹。

姉のさとるは、対人関係に難があるため外で働くことができず、家事手伝いをしている24歳。やや神経質で大人しく、儚げで、ミステリアスな雰囲気を持つ。厳しく支配的な母に怯えながらも依存しており、家族という檻に安堵すらしているように見える。

 

妹のみつるは、さとると対照的に気が強く、母に対しても反抗的だ。家族の在り方に不満を持ち、家を出ることを望んでいるが、やはりどこか家族に縛られている節がある。

 

父のことは割愛する。

割愛せざるを得ない。

 

そして、毬谷一家という凪いで腐敗しつつある水面に投じられた一石、それがさとるの恋人である鉄男だ。

鉄男は至って普通の、どこにでもいそうな大学生。友人も多く、女性に困ったこともない。単純で、それなりに優しく、それなりに軽率で、さとるの異質さや重さに尻込みしつつも彼女を愛し思いやっている。特別優しすぎたりも賢すぎたりもしない、ごく普通の男の子だ。

 

彼は毬谷家と関わっていくうちに、その歪な関係と、彼らの秘密を目の当たりにする。

 

 

***

 

 

家族とはなんだろう。

愛情とはなんだろう。

そういうことを考えさせてくれる作品だった。

 

支配的な母。自分では何も決められない娘。

抱えた秘密と罪悪感。崩壊していく家族。

どこを間違えたのか。何が狂っていて、どこが壊れていて、誰が悪かったのか。

 

普通の家族なんてものは、果たして存在するのか。

 

 

***

 

 

内容的には、最後に起きる事件以外は至って淡々とした日常のシーンが続く。さとると鉄男がデートをしていたり、毬谷家で夕食を食べたり。

それなのに、読み進めていくうちに、なんとも言えない息苦しさを覚える。さとるたちが当たり前にしているちょっとした行動、発言の片隅に、不穏な気配が漂い続けているせいだろうと思う。

 

 

物語の最後に、毬谷家が崩壊する象徴のような事件が起きる。その時のとある人物のとある言葉に、私は涙が出た。

家族なんだと思った。

歪でも、憎くても、彼らは家族だった。そう感じさせてくれる言葉だった。

 

このシーンは、色んな人に読んで欲しいなと思う。

どんなふうに感じたか、人の意見を聞いてみたい。

 

 

この作品のひとつの特徴として、章の始まりに毎回、何者かが相手を「先生」と呼びながら、自分の思いを語っているシーンが入る。

カウンセリングを受けている患者、といった雰囲気の独白だ。

それが誰のものなのか、想像しながら読み進めると楽しいと思う。ちなみに全て同一人物だ。

 

最後の章に辿り着く頃、きっともう一度遡って全て読み返したくなるだろう。

少なくとも、私はそうだった。

 

 

***

 

 

山本文緒の作品は、短編集であるシュガーレスラヴが特に気に入っていて、学生の頃から何度も読み返している。

彼女が描く女性の姿が、私はたまらなく好きだ。ドロっと淀んでいるのに、不思議な瑞々しさがある。

 

群青の夜の羽毛布は中編小説(というのかわからないけど)な上に話がズシっとくるので、読み返すには適してないが、心に残る良い作品だった。

たぶん今後も大切に保管する一冊だろう。

 

 

調べてみたところ、20年近く前に映画化されているらしい。

ていうか2002年が20年前なことに戦慄している。

 

Amazonプライムビデオで観られるようなので、暇な時にでも観てみたいと思う。

しかし元気な時でなければ厳しいだろう。

文章でこれだけの破壊力なのだから、映像化したらもっと重い気がする。

 

 

今は腸炎なので、とにかくこの記事を書き終えたら、白湯の一杯でも飲んで、次に読む本のことでも考えながら大人しく寝ることにしよう。

 

 

腹が痛い話と愚痴

 

腹が痛い。

 

昔からよく腹を壊すので、痛みの質や場所で大体どう対処すればいいのかはわかるし、どのくらいで収まるかもなんとなくわかる。

あー、このタイプは長引くな、とか。

これはトイレに行かなくてもいいやつ、とか。

言うなれば腹痛ソムリエみたいな感じだ。

 

しかしこの度、私の人生史上最強の腹痛を経験した。

 

それは昨日の昼、何の前触れもなく訪れた。

本気で死ぬかと思ったし、生まれて初めて腹痛で救急車を呼ぼうかと思った。

 

何をどうしても痛みから逃げられない。トイレに行ってもろくに出ないし、そもそも痛すぎて座っていられない。トイレ前の廊下に倒れ込み、蹲って腹を温めても、いつまで経っても激しい痛みがなくならない。

 

痛みに加えて吐き気もあるので体に力が入らない。

手足は冷え切って、冷や汗と震えが止まらず、二度吐いた。

 

とにかく体内にある異常を外に出せばある程度収まるだろうと思っていたのに、何をしても痛みがなくならない。

経験するとわかるが、何をしても痛みが変わらない腹痛というのは、とんでもない絶望だった。

 

 

途中、トイレに座っていると血の気が引くような感覚があり、意識が朦朧として「ヤバい、気絶する」と思ったので、自分の顔やら頭やらを今出せる最大の力でぶん殴ったり、廊下に転がり出て、頭を下げて頭に血を昇らせようとしたり、結果的に意味があったかはわからないがそのようにしてとにかく意識を保とうと奮闘した。

 

そして極めつけの血便。

 

約1時間に及ぶ格闘の終盤、もう少しで苦しみが終わるような気配に安堵しながらふと便器内を見ると、誰がどうみても、照明の影響を考慮しても、それはそれは鮮やかな赤色が便器に広がっていた。

 

 

 

 

結論から言うと、虚血性腸炎というものだった。

大腸に栄養や酸素を送るための血管が一時的に詰まり炎症が起こる病気らしい。

一過性のもので、そう深刻な病ではないようだ。

 

ちなみにこれを書いている今も腹が痛い。

いや、痛いというか不穏な気配が常にある感じだ。

ものを食べると腹が痛くなるので、空腹は感じているものの食べようと思えない。

トイレに行って力むとまだ血が出る。

 

 

私は今週たまたま、日・月・火と三連休なので、明日まで安静にすることができる。その間になんとか落ち着いて欲しいと思う。

 

 

 

 

 

 

余談だが、先週の月曜が誕生日だった。

職場で私を可愛がってくれている人が、ホールケーキを買ってくれると話していた。

 

私の今回の三連休は出勤日数の都合で急遽決まったもので、ケーキを買ってくれた彼女は私の休みを知らずに、私も彼女が月曜にケーキを持ってきてくれることを知らなかったため、行き違いが起きてしまった。

 

 

今日、病院から帰って、またトイレで腹痛に唸っていたとき、彼女から電話がかかってきた。

 

 

そして、めちゃくちゃ責められた。

 

「せっかく買ってきたのに」

「日曜に取りに行くって話したよね」

「どっちらけだよ」

など、本人になじっている自覚はないかもしれないが、めちゃくちゃネチネチ言われて驚いた。

 

 

彼女は人を可愛がるのが好きで、贈り物をするのも好きで、いつもおやつを買ってきてくれたりする。

お返しを受けるのは好きではないらしく、渡せば受け取ってくれるが「買ってこなくていいのよ、私が好きでやってることなんだから」と言う。

 

一見、優しく思いやりある人のように思えるが、実のところ彼女はただただ「喜ばせること」「感謝されること」が好きなのだ、と今回のことで確信した。

 

その主軸にあるのは他人の気持ちではなく、自分の快感だ。

 

 

厚意(好意)というのは、受け取る側よりも送る側の方が気持ちの良いものだ、という事実に気付いていない人は存外多い。

 

日本人特有の感覚なのかもしれないが、一方的に親切にされたり何かを貰ったりすると、私たちは「ありがたいけど申し訳ない」とか「お返ししないと」とか思ってしまう。

感謝はもちろんあるが、ちょっとした居心地の悪さも感じてしまうのだ。借りができるような感覚、と言ってもいいかもしれない。

 

だから私は、人の親切はなるべく素直に受け取るようにしているし、過剰な親切はしないように心がけている。

誰かのために何かをしようと思ったときは、相手の負荷にならないよう、「これをすることで自分にも利がある」という理由を付ける。

お返しをしたいと言われれば喜んで受け取る。

 

 

誕生日を祝うためのケーキを買ったとして、受け取れなかった相手を責めるようなことは、私ならしない。

それも意図的に受け取らなかったわけではない上に、腸炎で苦しんでいると聞いたら責めるどころか「気にしないでいいからね、お大事に」と声をかけ、早めに電話を切るだろう。

大半の人間は、私のようにするのではなかろうか。

 

 

彼女が買ってきたのは「相手を祝うためのケーキ」ではなく「喜ばせ感謝させるためのケーキ」だった。

彼女に私を祝う気持ちはなく、ただ私を喜ばせることで得られる感謝を浴びたかっただけだった。

 

 

正直、たかが職場の人間の誕生日に、ホールケーキを買ってくると言っていた時点で、いささかやり過ぎではないかと感じていた。

コンビニケーキとか、お菓子を買ってくるとか、その程度なら「ありがとう」で済むが、数千円するホールケーキを家族でも友人でもない人間相手に買うのはやや重い。

一応「さすがにやりすぎですよ」と言ったが「私が買ってあげたいのよ」と言われれば、了承するほかなかった。

そしてこの結果である。

 

 

彼女の奥底にどんな心理があろうとも、彼女が愛情深く善人であることに変わりはないと思う。

彼女は私の喜ぶ顔を想像していた。そして、手間暇と金をかけた親切を受け取ってもらえず傷ついた。

だから、傷つけた相手である私を責めた。

ひどく単純な話だ。

 

良くも悪くも素直な人だなと思う。

それゆえに、職場ではやや煙たがられている節があるが。

 

 

とにかく「ごめんなさい、お気持ちは本当に嬉しかったので、今日出勤してるみなさんで食べてください」と言って電話を切った。

 

 

 

ちなみに

 

「虚血性腸炎になったんですよ」

「なにそれ、どういう原因でなるの?」

「ストレスとか食生活の乱れとか便秘とからしいです」

 

「恥ずかしい理由ばっかりだね」

 

という会話もした。

 

繰り返し言うが彼女は素直なのだ。

良くも悪くも。

 

 

読書感想文 小指物語

 

 

 

 

初めて読んだのはいつだったかもう覚えていないが、私はずいぶん前に一度、この作品を読んでいる。

携帯で、どこかのサイトに掲載されていたのを読んだのだ。(モ◯ゲーとかだったかもしれない)

その時受けた衝撃や、感じた得体の知れない恐怖は、十数年経った今でも脳にこびりついている。

 

書籍になっていることを知ったのはわりと最近で、ツイッターでたまたま流れてきたそのタイトルを見て、強烈なインパクトと共にその存在を思い出した。

 

そして、かつては奇妙で不可解で、衝撃ばかりが強かったこの作品を、大人になった今の私はどう受け取るんだろうかと気になった。

 

 

 

***

 

 

指物語は、ものすごく端的に言うと「自殺の話」だ。

 

これだけ聞くとなんとも不謹慎な感じがするが、実際は私たちが思い描くような単純な話ではない。

 

裏表紙の作品紹介には、こう書いてある。

 

 

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素敵な自殺方法を考えないかい?

 

ーーー屋上から飛び降りる寸前、僕は小指の曲がった謎の男と出会った。ネットで評判の「自殺屋」らしい。彼に導かれ、自殺志願者たちの最期を見届けることに。一体、なぜ?生きるための死とは?男の正体は?やがて、辿り着く驚愕の結末ーーー

 

あなたの生きる希望が湧き上がる鮮烈サスペンス

「自分にしかできないこと。そのために命を使おう」

 

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この作品の主な登場人物として、自殺志願者の青年・ミサキ(俗物くん)と、奇妙な価値観と倫理観を持つ謎の男・小指がいる。

 

 

ある時、屋上から身を投げようと考えていたミサキは、奇妙な男と出会う。

 

「君も私も、五秒前に出来たと仮定してみようか」

 

この世界も自分の記憶も、五秒前、偶然すべての原子が現在の形に並んでできたものかもしれない。

それを今の科学で否定することはできない。

そんな世界で生きようと死のうと、その程度のもの。

そんなつまらない世界で、少しくらい遊び心を持たなかったらやってられないじゃないか。

 

「私と一緒に考えないかい?面白い自殺について」

 

純粋な目をしたその男は、右手の小指が奇妙に曲がっていたため、ミサキは彼を「小指」と呼んだ。

 

小指はミサキに「俗物くん」とあだ名をつけ、自殺屋の仕事を手伝わせながら、様々な人の、様々な形の「自殺」を見届ける。

 

 

 

***

 

 

 

この作品に出てくる自殺は大まかに4つ。

 

・死なない自殺

・生きるための自殺

・生きるためでも死ぬためでもない自殺

・生きるための死なない自殺

 

 

これだけでは何が何やらわからないかもしれないが、読み終えてみるとそうとしか言いようがないなと思える。

 

個人的には、生きるための自殺がかなり好きで、昔読んだ時の記憶も大半がこの章のものだった。

 

Kという女性が運営する、常に休診中の精神病院と、そこに集まる奇妙で優しい人たちの、「生きるため」の話。

 

登場人物で特に好きなのは、「空が痒い」と言って窓を掻きむしるガリガリくんと、1を1億回足すと本当に1億になるのかを調べるために、何年も1を足し続けている検算くんだ。

彼らは狂っているのかもしれないし、彼ら以外のすべてが狂っているのかもしれない。それは誰にもわからない。

彼らと彼ら以外の人々にあるのは、マイノリティかマジョリティかの差であって、どちらが正常でどちらが異常なのかを判断する術はない。

 

ただひとつ言えるのは、彼らにとっては全て事実で、現実であるということだ。

 

彼らはお互いを受け止め合い、この世界で生きるために自殺を決行する。

優しくて、少し悲しくて寂しいけれど、幸福な話だ。

 

 

***

 

 

生きているとはどういうことだろうか。

死とはなんだろうか。

私たちはいつこの世に存在を始め、そしていつ、この世に存在しなくなるのだろう。

 

 

小指は言う。

 

「私たちはずっと前から生き続けているし、ずっと死に続けている」

「君は生まれていないし、ずっと死んでいたんだ」

 

 

これだけでは本当に意味がわからない。

作中の小指の長ったらしい解説を聞いたあとでも、読む人によっては単なる強引なこじつけだ、詭弁だと感じるかもしれない。厨二病と一蹴するのも簡単だ。それくらいめちゃくちゃなことを小指は言っている。

 

けれど、命について考えるための足掛かりにはなり得るかもしれない。

くだらない、意味がない考えだと笑わずに、まずは小指のように純粋な目と心で受け入れてみると、見えてくるものがある、かもしれない。

 

 

***

 

 

 

先程少し検索してみたら、魔法のiらんどというサイトで、小指物語の冒頭と、書籍化されていない部分の話が読めるようになっていた。

 

昔読んだ時よりもずいぶんボリュームがないなと感じていたが、何話か載せられていなかったせいだったのだと合点がいった。

 

あとで読みに行こうと思う。すべて読んでこそ小指物語だ。

 

 

 

初めて読んだあの頃と今とで、どれほど感じ方が変わっているだろうかと思って読み始めたけれど、そこまで大きな変化はなかったかもしれない。

奇妙だとしか思えなかった小指に対してなんとなく可愛らしさを感じるようになっていた程度で、この作品が持つ強烈で、むちゃくちゃで、けれど懸命で切実な主張には、やはり当時と同じくグッと引き込まれる感覚があった。

 

 

 

指物語の著者、二宮敦人がまだ@と名乗っていた頃、もうひとつ読んでいた作品がある。「!」という短編集だ。

指物語を読んだ流れで存在を思い出してしまったので、その勢いのままAmazonで注文した。

 

明日には届くので、また読んで感想を書こうと思う。

 

別に読書感想文を書くためにこのブログ作ったんじゃないけど…感じたことや考えたことを書き出すのは、今にとっても後々の自分にとっても良いことのように思うので、今後とも、書きたいと思ううちは書いていこうと思う。

 

 

読書感想文 流星の絆

 

先日、職場の友人とお昼ご飯を食べたあと、ブックオフに立ち寄って、お勧めしてもらった小説を買った。

 

東野圭吾の「流星の絆」という作品だ。

 

 

 

 

 

参考程度に本の裏表紙の内容紹介を抜粋し載せておく。

 

 

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何者かに両親を惨殺された三兄妹は、流れ星に仇討ちを誓う。14年後、互いのことだけを信じ、世間を敵視しながら生きる彼らの前に、犯人を突き止める最初で最後の機会が訪れる。三人で完璧に仕掛けたはずの復讐計画。その最大の誤算は、妹の恋心だった。

 

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私は小説といえばもっぱら江國香織山本文緒唯川恵などの少女小説、恋愛小説を好んで読み、こういったミステリ?サスペンス?というジャンルはほとんど手をつけたことがない。

東野圭吾の名前はよく聞くけれど、読もうと思ったことはなかった。

映画化されている作品が多いことからも、よく練られた物語を書く人なんだろうということはわかるが、私はハラハラドキドキする展開や推理、伏線回収の面白さなどより、ありふれた日々を切り取った、人の心の機微を描くものの方が基本的に好きなのだ。

 

そんな私が流星の絆を読んだ感想だが、端的に述べて非常に面白かった。なんて中身のない感想だと自分でも思うが、読了後に真っ先に浮かんだ言葉なので仕方ない。

 

 

内容以前に、なんというか、とにかく読みやすかった。

難しい言い回しや回りくどい表現がなく、すらすら読み進めることができる。読書が苦手な人でも読み易いだろうなと感じた。

文章に無駄がなくテンポが良い。次から次へと展開していくので、どんどん読み進んで物語に没入していく。

これはたしかに、幅広い層に支持されるだろうと実感した。

 

内容についても、散りばめられた伏線を綺麗に回収していく様が見事だった。

正直、「衝撃の真相」というほどではなかったように感じるが、終盤まで真実に気付かせず、「あの時のあれはそういうことだったのか」と最後にすべて納得させてくれる手腕は素晴らしかった。

 

 

***

 

 

この作品には、殺人や詐欺、窃盗といった「悪事」は出てくるが、「悪人」は出てこない。

それが、読了後のなんともいえないやるせなさ、切なさを煽る。

 

両親を殺された三兄妹は、預けられた施設を出たあと、理不尽な世間を厭い、詐欺集団になる。

自分たちだけが酷い目に遭うなんておかしい、奪われたなら、自分たちもまた別の人間から奪ってやろう、と。

 

そうして、頭の切れる長男は情報収集と作戦の立案、芝居の上手い次男と美人の妹が実行役となり、ターゲットを騙して金銭を巻き上げていく。

序盤では両親を失った同情すべき悲壮な兄妹であった彼らは、一転して犯罪者となるのだ。

 

しかし、彼らは「悪人」ではない。

失い、傷付き、守るべきものを守るため、強く生きるために罪を犯すことを決めただけの、ただの人間だ。

そして彼らの両親を殺した人物もまた、読み終えてみれば、ただの人間だった。

 

 

人間を、二元的に語ることは難しい。

悪いことをする人間は悪人だと言い切れてしまえば簡単だが、物事には道程があり背景がある。

悪事は悪事、それはたしかに罰されるべきことだが、人の心はそう簡単に断じられるものではない。

人を騙す人間、人を殺す人間に、誰かを愛する心がないわけではない。

愛しているから、守りたいものがあるから、罪を犯すこともある。

 

読み終えてみれば、そこには様々な想いを抱えた人間たちがいるだけだったとわかる。

そしてそれぞれが、それぞれのやり方で犯した罪と向き合っていた。

誰かを想い、赦し赦され、前を向いて歩き出す。

切なく、やるせない気持ちの中に、希望を残してくれる結末は、なんともいえない満足感を与えてくれた。

 

単純に、読んで良かったなと思える作品だった。

これはたしかに映画化なりドラマ化なりされるだろうという、よくできたヒューマンドラマだった。

 

 

 

 

ただまあ個人的には、あまりにもドラマチックだったので、もう少し日常的な作品の方がやはり好ましいなと思う。

ハラハラドキドキするのも楽しいけれど、指先の動きひとつを切り取るような、ささやかな感傷を丁寧になぞるような作品が良い。

解決することよりも、解決しないままどう生きるかを描く方が好みだ。

この辺は本当に個人の好みの問題であって、十二分に面白かったが。

 

 

また東野圭吾の作品を読みたいと思う。